日本の人事制度は殿様と家臣の時代の精神を色濃く反映していた。日本は戦国時代が終わり、江戸時代を経て、会社という仕組みを導入してきた。その会社に勤める社員は、無限定で働く事になる。会社の命令であれば、どこでも転勤させられる。会社に奉公する代わりに、会社は定年保証という雇用保障の褒美を与えた。会社という国の中で、家来は一生過ごす事になる。
アメリカは、平等を重視する。当初は奴隷を使うなど、階級社会を前提として、社会が成り立っていた。しかし、徐々に差別が無くすため動きと法律整備が進むにつれ、会社のそれに対応してきた。具体的には仕事とそれに従事する人を分離した。職務記述書を厳密にして、職務内容と報酬を決める。人そのものの総合力に報酬を払うのではなく、職務遂行に対して報酬を払うという事で、就職における人そのものへの差別をなくそうとしてきた。
社会構造の点では日本はタテ社会だ。一つの会社に入ったら、その中で昇進を目指す。脱落したら、トップグループには追いつく事はない。マラソンと同じ脱落競争だ。同期の中での出世競争から遅れをとり、何十年もかけて下位グループに入った社員がトップグループに返り咲くという話は日本の会社では聞いた事がない。会社という枠の外で、ヨコ同士のつながりは殆どない。多くの人が会社と自宅の往復を繰り返し、会社に奉公している社員の人的ネットワークは極めて狭い。
アメリカやインドではヨコ社会がタテに積まれていくような重層社会だ。社会的に身分の高い階層の出身であれば、それ相応の職務につける。カーストで高い身分であれば、それ相応の職務につける。この階層内でのヨコの繋がりは強いと言われているが、その階層を飛び出して上の層に行くのは難しいと言われている。
日本でもアメリカでもインドでも歴史的経緯がある社会構造は簡単には変わらないだろう。その国や地位いの社会構造を踏まえて、今の時代にあった人事制度にするにはどうするかを考える必要がある。既に述べたようにそれぞれの国の社会的背景の上に、人事制度や労務環境が成り立っている。この事をよく理解しないで、バズワードに飛びついて、他国の表面的な制度をそのまま猿真似してもうまくいかないのは当然だ。社会の土壌という前提が違うのだから。
人を扱う人事制度は国や地域ごとに特徴がある。まずはその成り立ちの背景を社会構造の面から本質的に理解する。それを踏まえて、では自分の国や自社にあった人事制度はどうあるべきか?と考える事が重要である。
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