【世界史②/8】古代・中世 中東の歴史 総集編【2023年最新版】の復習

地政学

以下の動画を見ました。

中東はヨーロッパの永遠のライバルだ。

エジプト文明は文字を持っていた。楔型文字だ。その文字で書かれたものがハンムラビ法典である。これは倍返しをせず、当倍返しせよという考えである。

中東にはアッシリアという組があった。残虐な国で恨みを買って、早々に滅びた。

その後ダレイオス1世が間接統治を始めた。ダレイオス1世は制服したら、そこを直接統治せず、現地人で統治させた。これがアケメネス朝である。各土地にサトラップという知事を置いた。その知事を監査する王の目・王の耳という監視役まで置いた。政治的には非常に高度な間接統治だ。

では、中東は結局どこが覇権を握っていたのか?ペルシアである。今のイランである。イランはペルシア語を使う。他の国はアラブ語を使っている。アケメネス朝ペルシアだった事もあり、イランはプライドが高いと言われている。

このアケメネス朝ペルシアの国を跨いでインドまで遠征したのが、マケドニアのアレクサンドロス大王である。アレクサンドロス大王は遠征疲れで自国に戻ろうとした帰路で死んでしまう。

アレクサンドロス大王没後、パルティアという遊牧民族系のイラン人の国が出来た。

その後、ササン朝ペルシアが出来る。このササン朝ペルシアとローマ帝国が争っていた。この争いがイスラム教を生んだ。両国の国境は商人が通る事が出来なかった。従って、南のアラビア半島を通じて、商人はローマ帝国とササン朝ペルシアの間を行き来していた。その結果このルールが商業的に栄えた。このルート上にあったのがメッカである。

商業が栄える事で、人々に貧富の差が生まれた。大商人の息子ムハンマドは40歳で紙の預言を受けたとして、イスラム教を始めた。アッラーの前では皆平等と説いた。これにより信者が広がった。しかし、ムハンマドは怪しいやつとしてメッカを追われ、北部の町メディナに逃れた。そこで信者を増やし、今度はメッカを奪った。そのアラビア半島の多くの土地を支配した。

ムハンマドは、イエスとは異なり、実在し、戦い、政治も行った。この後継者はカリフと呼ばれる。4台目までは正当カリフの時代と呼ばれ、後継者が争いなく決まっていった。しかし、この4代目のカリフが暗殺される。その後、ウマイヤ家が台頭しカリフをウマイヤ家が独占すると宣言した。

このウマイヤ家でいきましょうとしたのが、スンナ派。政党カリフの子孫のみでやっていこうとするのがシーア派である。

ウマイヤ家がウマイヤ王朝を作り、こちらは大きな勢力となった。逆に小さな勢力になってしまったのが、シーア派、後のイランである。

このウマイヤ朝が領土を広がっていった。領土が広くなると統治が大変になる。なんとアラブ人は税金を優遇して、アラブ人以外から多く税金を取った。これに不満を覚えて革命を起こしておきた国がアッバース朝である。我々がスンナ派の盟主であるとした。

このアッバース朝の都がバグダードである。円形の平安の都と呼ばれる町だ。このバグダードで最盛期のカリフだったのが、ハールーン・アッラシードである。あのアラビアンナイトの主人公である。

このアッバース朝が衰え、代わりに勢力を持ったのが、セルジューク朝である。ここでカリフを守る支配者、スルタンという役割が現れる。

このセルジューク朝が行ったのが、エルサレムを独占した。イスラム教がエルサレムを独占したのである。これを取り返す為、ローマが攻めたのが十字軍である。一度は十字軍がエルサレムを奪還するが、十字軍が帰還すると、またセルジューク朝にエルサレムが奪われるのである。

第三回の十字軍の遠征で戦ったのが、十字軍の獅子心王リチャード1世とサラディーンである。サラディーンはエジプト系王朝の勇者だった。これによりカイロの町が発達した。カイロは勝利の都という意味だ。これはエルサレムを奪還して勝利した事を意味する。

ここでモンゴル帝国が台頭してくる。チンギス・ハーンの孫に中東が支配された。その時代、中東はイル・ハン国となる。このイル・ハン国は途中で宗教をイスラム教に改宗する。地域の支配と宗教は密着している。支配した国を自国の宗教に統一するのは必ずしも良くないという事をこの時代の支配者も知っていたようだ。

イル・ハン国の後は、ティムール朝がおきる。別名鬼武者。盗賊団あがりのティムールが作った国だ。このティムールは明にまで攻め込んだ。ティムールはとても戦が強かった。しかし、遠征を繰り返しているうちにティムールは死んでしまう。ここでも遠征による失敗がおきている。十字軍・秀吉の朝鮮出兵・アレクサンドロス大王の遠征も全て同じだ。

地域を中東とヨーロッパの間に戻す。ここに千年続いた国がビザンツ帝国であった。東ローマ帝国の後におきた国である。西ローマ医帝国はカトリック、ビザンツ帝国はギリシア正教である。このビザン帝国の都がコンスタンティノープルである。鉄壁の都である。

このコンスタンティノープルを陥落させた男が弱冠21歳、メフメト2世である。コンスタンティノープルの入り江は避け、船を4キロ運んで、山越えしてコンスタンティノープル内の入り江に入ったのである。これにおり、コンスタンティノープルはイスタンブールと改名された。これによりオスマン帝国が勢力を拡大していった。

オスマン帝国は今のドイツ、神聖ローマ帝国まで遠征した。しかしこの遠征は失敗して、オスマン帝国は勢いを失う。

ここでヨーロッパは大航海時代を迎える。




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